僕が個人的に寄付活動していることをご存知の方もいるでしょう。
主に東南アジアでの子供の里親活動なんですが、僕がどうしてこういった活動をしてるかというと理由は2つあるんです。
ひとつは純粋に子供の頃から発展途上国の人たちの役に立ちたいって気持ちです。前項の「1、生い立ち」でも書きましたが、貧乏な家で育ったというのも影響してると思います。
高校生の頃はお医者さんになって、「国境なき医師団」で働きたいな~と思ってました。
結局お医者さんにはならなかったのですが、「役に立ちたい」と言うその気持ちは大人になってもずっと変わりませんでした。
手法は違っても、何かの役に立てるんじゃないかという気持ちですね。
特にバックパッカーとして東南アジアを中心に旅をしているうちに、すごく東南アジアに惹かれました。
世界中、たくさんの矛盾を抱えているじゃないですか?何がしかの援助や手助けが必要な、国、人、分野はたくさんあります。でも、僕という一人の人間にできることは限られてます。
なので、自分が惹かれた地域で必要を感じた分野に援助を行うことにしたんです。
後いるじゃないですか?「もっとお金があったら、俺も寄付するんだけどな~」とか「どうしてお金持ちはもっと寄付しないんだ!?」、あるいはTVで可愛そうな子供たちの姿を見て「わ~、可哀想!!誰か何とかしてあげて~!!」みたいな人。
「誰か」って・・・(苦笑)
こういった種類の人間が大嫌いという反骨精神もあります。
僕は寄付なんてしても、しなくても別にどっちでもいいと思ってます。
ただ、自分のことは棚にあげて、ペラペラと口を開く人は嫌いですね。
話それましたが、僕の場合は「貧しい子供が初等教育や中等教育を受けるために必要な資金援助」をさせてもらってるんですが
単純にハッピーな気持ちになれるんですよ。
もし、自分が援助した子供が将来、その国を背負って立つ人間になったらどれだけすばらしいだろうかと。
僕が援助した幾ばくかの「お金」がその子を通して世界に大きな価値を生み出したら・・・と考えると本当にワクワクしますね。
僕が寄付をするもうひとつの理由は、お金持ちになりたかったからです。
ずっと世界中のお金持ちの共通点を探してきたんです。
それで気づいたんですが、お金持ちって必ず寄付をしてるんです。
最初は「お金があるから寄付してるんだ」と思ってました。
でも違うんですよね?
お金持ちはお金持ちになる前から寄付してるんです。
不思議ですよね。
で、僕、ある日、悟ったんです。
こういうことじゃないかと・・。
高校の時、生物を選択してた方は覚えてるかと思うんですが
植物が地中の水分を吸収する方法と同じなんじゃないかと・・・。
まず、植物が水分を吸い上げて葉の隅々にまで送り届けるための力は4つあったと思います。(たぶん)
「根圧」、「毛管現象」、「分子間力」、「葉の蒸散」
この中で最も水分を吸い上げる力の強いものは、どれだと思いますか?
実は「葉の蒸散」だそうです。
葉の蒸散による陰圧があるからこそ、メタセコイアのような大木もてっぺんまで水を送り届けることができるそうです。
植物が人間、地中の水分がお金とします。
で、「根圧」は稼ぐ力、「毛管現象」は投資、「分子間力」は節約に例えられるでしょうか?
でも、お金をもっとも引き寄せる方法は「蒸散」、つまり寄付(気前よく与えること)することなんじゃないかと悟ったわけです。
また、大昔からお金持ちになるような人は、直感的にそれを知っていたんじゃないかと・・。
蒸散(寄付)なしでは、たかだか小さな金額しか稼げない(吸い上げられない)。
さらに言うと貧乏な人は、義務を果たさず何でもかんでもタダで欲しがって、出すのは自分の舌でも嫌みたいな考え方だから、いつまでたっても貧乏なんじゃないかと・・。
「じゃあ、藤原、お前は自分が金持ちになりたいから寄付してるんだな?」と聞かれたら、半分YESで半分NO。
「上で述べた2つの理由の間のどこか。」あるいは、「上記2つの理由が融合したもの」と答えます。
また、確かモルモン教の言葉だったと思うのですが、「神は受け取ることを必要としないが、人は与えることを必要とする」という教えがあるそうです。
なるほどなあ~という感じがします。
これは僕の持論なんですが、人はそれぞれ心に「闇」を抱えて生きていると思います。もちろん僕も。
お金儲けに限らず、成功や自己実現に執着すると、努力に応じた成果(お金、成功、出世)を手に入る代わりに、
心の闇は大きく、深くなっていく気がします。最悪、その闇に呑まれて自分自身を見失ってしまう。
だから、すごく成功した人が必ずしも幸せじゃなく、家族を失ったり犯罪に走ったりするのだと思います。
寄付にはそういった心の闇を大きくするのを防ぐ安全弁的な効果があるんじゃないかと思います。
医療でも瀉血(しゃけつ)ってあるじゃないですか?あれと同じ感覚です。
そして大昔の知識人はそのことを知っていた。
宗教の世界でも、仏教の喜捨、イスラム教のサダカやザカート、キリスト教のチャリティーなんかですね。
まさに人は自分の心を正常な状態に保つために「人は与えることを必要とする」なのです。
結局、僕にとって寄付行為は自分自身のためにやってるのかもしれません。
いずれにせよ、決して誰からも褒められるようなことではないですね(笑)
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